なんとかしないと

「変化」というものは、いつか訪れてくる。

 

でも、「変わろうとすること」は目的ではない。

 

それはあくまでプロセスだ。

 

変わることが大事なのではなく、

 

何のために変わるのか、が大事だ。

 

僕らは案外、”変わらざるをえない”から

 

変わってきてるんじゃないかなーと思う。

 

”変わらざるをえない”というのは、

 

「なんとかしないと」を前向きにしていく

 

ことなんじゃないかなー。

人の中にある

人と話をしたり、連絡をとったり、

 

人のことを見たり、聞いたり、

 

人のことを考えたり、一緒にどこかに行ったり、

 

人と何かを一緒にしたり、ときに喧嘩したり、

 

そんなことを思うと、

 

人が必要としてるものは「人」なんだよね。

 

何かの発明に驚いたり、

 

医療の発展に感動したりもする。

 

それらはもちろん大事なことなんだけど、

 

人が最高に感動することは、

 

やっぱり人の中にあるんだとつくづく思う。

 

だって昨日も僕は人を見て、

 

その成長した姿に感動したんだよねー。

基準と答え

「基準」とするものが違うなら

 

たどり着く答えも変わってくる。

 

何が評価され、何が評価されないのか、

 

それも基準次第で変わってくる。

 

よい結果を残したつもりでも、

 

自分の基準と人の基準が違えば、

 

その結果も異なるものだ。

 

ただ、自分が良いと信じることや

 

貫きたいことなんかが

 

たとえ人に評価されなかったとしても

 

それはこれからも変わらず貫いていきたい。

「ことば」の違い

聞く多くの人が「いい言葉だなぁ」と思うような

 

言葉がある。

 

それはたまたま生まれたものかもしれないし

 

練りに練られて生まれてきたものかもしれない。

 

また、多くの人の「役に立つ言葉」というのもある。

 

何かのやり方とかマニュアルのような

 

物ごとを説明する言葉。

 

また、「人を傷つける言葉」もある。

 

言われた相手が苦しむような、痛がるような言葉。

 

それは、発する人の心も傷つけているんだと思う。

 

他に、慰める言葉もある。

 

人を安心させたり、気持ちよくさせるような言葉。

 

これも、発する人の心を気持ちよくさせているのかも。

 

こうやって「ことば」のことを考えていると、

 

何も言わなくても、言葉を発しているように

 

感じさせる人もいれば、

 

多くの言葉を発していても、

 

そこからほとんど何も聞こえてこない人もいる。

 

この違いって、目指しているところの違いなのかもね。

 

 

そういう環境のありがたさ

愛があるかないかとか

 

愛があるからやさしくできるとか

 

愛があるからやさしくされるということも

 

大切なことだとは思うんだけど、

 

愛があるかなんて関係なく

 

人にやさしくできるとか

 

人にやさしくしてもらえるという

 

そういう環境のありがたさを

 

最近身にしみて感じる。

きれいで丁寧に

僕らは心の奥にあるほんとうの気持ち


なんかを伝えるときとか


感情的な状態で何かを伝えるときに、


ついつい言葉が少し荒れたりする。


でもさ、そういうときこそ覚えておきたいのは、


ほんとうに大事なことを伝えようとするときは


絶対に「ことばはきれいで丁寧な方がいい」


ってこと。


感情が溢れてきても、ことばは丁寧に


伝えたい。