「いる」こと

新しいことをやり始めたりしたときに、

 

どうすれば上手くできるのか分からずに

 

どうしたらいいのか戸惑うことだってある。

 

でも、上手くても、下手でもいいから

 

その場所に一生懸命に「いる」ということが

 

大事なんじゃないかなーって思う。

 

「いる」というのは、ただ足を運ぶということじゃなくて、

 

よく耳で聞くことや、よく目で見ることや、

 

よく動こうとすることなんかだと思う。

 

そして、その中に少しでも楽しいことを見つけられたら

 

それだけで「いる」ことが、自分にとって

 

意味のあるものになっていくんだよね。

近くにいるということ

孤独が人を強くするということや

 

孤独と向き合うということの大事さは

 

確実にある。

 

それと同じように、自分とは違う存在が

 

近くにいるということも、とても大切なことだと思う。

 

人はどんなに仲が良くなったとしても、

 

近くにいる"別々の人間”だ。

 

どれだけ長く過ごしてきても、

 

”こういうときには、そんな風に考えるのか”とか

 

こちらが知らないというか驚くようなことがある。

 

こちらが違和感を感じているときには、

 

たいてい相手の方も違和感を感じているものだ。

 

そんなこんなで、人が近くにいるということは

 

おもしろいものなんだよねー。

「おもしろい」を作り出そう

「おもしろい」を作り出そうと思ったときに、

 

目新しすぎると、おもしろいを通り越して

 

驚きになってしまう。

 

また、”そうだよね−”っていう共感がないものだと

 

おもしろいにはたどり着かない。

 

”あっ、そっかー”っていう少しの目新しさと

 

”そうだよねー”っていう共感が

 

一緒になったときに「これっておもしろい」に

 

なるんじゃないかなーって思う。

終わりの方こそはっきり

人に何かを伝えることが多い立場として

 

気をつけていることは

 

何かを伝えるときに

 

「言葉の終わりの方こそはっきり伝える」

 

ということだ。

 

”〜だと思う”というようなことでも

 

言葉の終わりで音量を下げないこと。

 

”Aもいいと思うし、Bも正しいと思う”というような

 

ことを伝えるときでも、

 

「言葉の終わりまではっきり伝える」こと。

 

それが伝える自分の責任を明確にすることだと思う。

さっと一歩を進めちゃう

自分が疲れてるかどうかは

 

割と簡単に分かるというか感じるものだけど、

 

自分が「いきいきしてるか」ということは

 

案外、分かりそうでわからないものだ。

 

ただ、1つその基準のようなものがあるとするなら、

 

「自分をよく使っているか」どうか。

 

目の前に自分のできそうなことがあれば

 

さっと始めるということ。

 

それが損か得かなんて考えてなくて、

 

必要にしてる人がいて、自分にできそうなことなら、

 

どうやるか考えて、さっと始める。

 

連絡し合うことが必要なら、さっと連絡し始める。

 

さっと一歩を進めちゃうというのが

 

「いきいきしてる」1つの基準なんだよね。

「いい」っていう表現

人は見ることや聞くことだけじゃなくて

 

からだで、物ごと全体を感じている。

 

それは「楽しい」とか「嬉しい」とかだけではなく

 

それらを含めた「いい」っていう表現が

 

ふさわしい気がする。

 

その「いい」は表情に表れたり、言葉に表れたり、

 

からだの動きに表れたり。

 

その中の「いい」が表れる1つの言葉は

 

「えっ、もう終わり?」だったりするんだよね。