「喜び」や「嬉しさ」があるところ

1人で時間を過ごしたいとか、

 

人と少し距離を置いて何かをしたい、

 

ということも時にはあるかもしれない。

 

でも、僕らは基本的に人と会ったり、

 

集まったり、語り合ったりして、

 

そこに喜びみたいなものを感じるものだ。

 

人がたくさん集まる場所は”人気がある”とされるし、

 

人が集まり、密な関係が築けるほど”良し”となる。

 

今の時期は、この価値観がダメとされてるけれども、

 

これから先も、それがそのまま続きはしないと思う。

 

今は集まらないで、いかに楽しく過ごせるかという

 

工夫が求められているけれど、

 

本来、僕らが生きていくということは、

 

「人と集まり、親密になる」ということが含まれているし、

 

そこに「喜び」や「嬉しさ」があるんだよね。

 

準備することによる「期待感」

「準備」がもたらすものは結構たくさんある。

 

そんな中でも最近、実感していることは

 

準備することによる「期待感」だ。

 

準備するには、自分が取り組むことに対する

 

「目的地」が必要になる。

 

だから目的地についてじっくり考えることになる。

 

そして、どのようにして目的地にたどりつくのかを

 

考える中で、”こうなっていったらおもしろいよなー”とか

 

”こんなことをしたらどうだろう”とか

 

おもしろくなりそうなことを考えたり、

 

自分も含めて、そこに関わる人たちが夢中になるような

 

ことを考え、そしていざ本番を迎えるわけだから

 

準備することで「期待感」が増すのは間違いない。

 

逆に準備がおろそかな時の「期待感」の少なさとか

 

まず自分が夢中になれていない感覚は

 

何度も味わいたくないよねー。

何かを選んでいる

"自分の常識”というものに自分がとらわれてて、

 

狭い考え方をしていたり、

 

そこから生まれてくる反応をしているということを

 

気をつけているつもりでも気づかなかったりする。

 

で、そういうことに気づくのは

 

狭い考え方や反応をしている瞬間というよりも、

 

しばらくして、その現場から離れたときであったりする。

 

以前、スポーツを通して「無意識の選択」ということを学んだ。

 

人は何も選んでいないつもりでも

 

無意識のうちに何かを選んでいるということ。

 

そこに結構大事なことが隠れていて、

 

自分が無意識のうちに何を選んでいるのか、ということを

 

意識できるようになることが

 

自分がなろうとする自分への近道だったりする。

”どうするか”は自分との相談次第

僕たちは、できることはできるし

 

できないことはできない。

 

偶然のようなことはあるし、

 

奇跡みたいなこともある。

 

でもそれは”いつもある”とか”時々ある”の方に

 

数えてはいけない。

 

そして"魔法はないし、使えない”んだよね。

 

今こそ真実ではなく事実をしっかり見よう。

 

”真実”はよくねじ曲げられる。

 

事実を見て、自分に与えられているもの、環境で

 

”どうするか”は自分との相談次第。

 

魔法をあてにしたり、

 

魔法の練習をしようとするのはやめよう。

 

「なにがしたいか」「なにができるか」が

 

ずっと問われているんだよね。

メリハリのきいた生き方

人は疲れてきたり弱ってくると

 

いつも以上に痛みに敏感になったり

 

弱ったところをかばおうと攻撃的になったり

 

弱いからこそ強がってみたりする。

 

そんなことが重なると

 

人間関係がぎこちなくなってきたりもする。

 

誰だって疲れるようなことはあるし

 

弱ってしまうようなこともある。

 

でも、そこにとどまらず

 

早くに元気になっていく人がいる。

 

その違いは何?

 

ハッキリとした答えは分からないけど、

 

早く元気になる人は

 

「今を生きている」んだと思う。

 

先のことも考えているけど、

 

それはあくまで先のこととして「今を生きる」。

 

先のことを考えながら今を生きるのではなく、

 

悩みながら今を生きるのではなく、

 

寝ながら悩むのではなく、

 

今は今を生きる、ということ。

 

こういうメリハリのきいた生き方ができていれば

 

結構元気にやっていけそうな気がするんだよね。

たのしくもなんともない様なことの中に

ほっておいても「たのしい」ということの中に

 

”たのしさ”を見つけることは誰にだってできる。

 

たのしくもなんともない様なことの中に、

 

”たのしさ”を見つけたり、生み出したり、

 

そこを”たのしい場”にしたりすることは

 

すごく大切なことなんだと思う。

 

たのしくもなんともないことの中の”たのしさ”は

 

他の誰かが与えてくれるものではなく、

 

自分で見つけ、自分で生み出すものだ。

 

もっというなら、たのしさを見つけたり、

 

生み出したりするということを

 

日頃から「自分の中」に育てているかどうかなんだよね。