見たい未来・行きたい未来

僕らがよく考える「目的」というのは

 

難しいことは抜きにして、

 

「どうなったら一番喜べるか」とか

 

「どうなったら一番嬉しいか」

 

ということなんだと思う。

 

それは「未来におどされる」ことや

 

「未来に追い込まれる」ことなんかじゃなく、

 

「見たい未来」であり、「行きたい未来」

 

なんだよねー。

 

ポスターのようにハッキリと

「こういうふうになったらいい」っていうイメージを

 

一緒に取り組む仲間たちと共有し、

 

ポスターのようにハッキリと描くこと。

 

それが「夢」とか「ビジョン」になるんだと思う。

 

それは見つけ、想い描くだけでワクワクし、

 

自分たちに勇気のようなものを与えてくれるものだ。

 

そんなことが毎日、毎回できたら

 

ほんと楽しいだろうなーなんて思いながら

 

今日も準備したりしてるんだよね。

「あたり」と「はずれ」

取り組んでいるプロジェクトや仕事でも、

 

狙っている「あたり」はある。

 

ただ、その「あたり」以外が

 

どうしようもない「はずれ」というわけでもない。

 

狙っている「あたり」ではないけど

 

そこそこいいという「はずれ」もある。

 

まあ、そもそも「あたり」も自分でそれが

 

「あたり」と決めてるんだから

 

あやしいといえばあやしい。

 

だから、完全な「はずれはない」ってことと

 

「あたり」を狙うために何ができるか

 

ってことの両方が大事かもね。

「考え尽くす」にはほど遠いけど

目先のことを考えて、近いところでの結果が

 

出ることを目標にして今を取り組むという

 

やり方もあるにはあるんだけれど、

 

それはどうも自分には性に合わない気がする。

 

自分だけで完結することなら、それでもいっか

 

って思えなくもないけど、

 

人の未来に触れさせてもらっている事実を目の前に、

 

そんな甘えのような方法を選ぶことはできない。

 

まだまだ”考え尽くす”にはほど遠いけど、

 

考えることをやめないで、一歩一歩進んでいきたいよね。

子どもに望む1つのこと

今日もまたどこかでいのちがなくなっていく。

 

それはそれで当然のことなのかもしれない。

 

親となって、子どもという新しいいのちが与えられて、

 

そこに何を望むのか、ふと考えることがある。

 

元気であってほしいと思うけど、体が弱るということもある。

 

明るいとか優しいということもいいけど、

 

そうでなくても、それはそれで個性ということで別にいい。

 

じゃあ、何を望むのだろう。

 

そう考えていると、人は誰でもいつか死んでいくのだけど、

 

僕たち「親よりも先に死ぬのはやめよう」ということが

 

子どもに望む1つのことだと思う。

 

小さな”こうだったらいいだろうなー”ってことはあるとしても

 

”望む”というようなことは、それぐらいかもね。

 

しやすくする役割

僕たちには「感情」というものがあって


時にはそれが力になったり、


時にはそれがジャマをしたりする。


感情とうまく付き合って、物ごとと


少し距離をとることで問題を解決したり


しやすくなったりする。


何かを人の代わりにすることは


この"距離をとってやる"ということを


間に入ってやっているということだ。


そう考えると、何かを「教える」ということも


同じことをやってるんだと思う。


人が「自分で学ぶ」ということの間に入って、


"学びやすくする"ということをしている。


自分が"教えてる"とかじゃなくて


「しやすくする」っていう意識は大事かもね。