自分の”知らなさ”を知る

自分の興味があること以外に目を向ける

 

ということは得意だろうか?

 

僕自身、得意ではないし、

 

基本的に多くの人は得意ではないと思う。

 

得意ではないにしても、もし自分が興味あることだけに

 

目を向けて生きていたら、どれほど狭い生き方になるだろう。

 

今、自分が興味がある範囲外のことに多くの可能性があったとしても

 

そこに目を向けることがなければ、その可能性も閉ざされたままだ。

 

僕たちは、自分が”まだ何を知らないのか”ということを知り、

 

自分の”知らなさ”に関心を持つことが、

 

どこかで興味があることにつながってきて、

 

豊かになるための一歩になるのかもしれない。

持っている人はさらに与えられ豊かになる

現状をありがたく思いつつ、

 

現状維持ではなく、さらに求める人には

 

さらに多くのことが与えられる。

 

これは昔からの原則。

 

それにプラス、

 

「持っている人はさらに与えられ豊かになる」

 

というのも的を得た原則である。

 

何かに対する知識が豊富だとますます知識は増えていき

 

知識が乏しいと一段と乏しくなる(差が大きくなる)ということ。

 

例えば、同じ歳の子どもが本を読むとして、

 

本を読むための背景知識が乏しいと、本を読んだときにそこから知識(情報)を

 

吸収することに難しさを感じる。

 

それとは逆に背景知識が豊かだと、多くの知識(情報)を得ることが出来ると共に

 

さらに深く知りたいという好奇心が生まれてくる。

 

それが日々積み重なっていくときの差は計り知れない。

 

それを知るときに、自分自身も自分が突き詰めたいことに対して

 

さらに知識(情報)を豊かにすることの大切さを感じる。

「知る」ということ

僕たちは自分が「知らない」ことについて

 

得意になるってことはない。

 

自分がやってみて、自分なりにでも知ったことに対して

 

得意になったりするし、

 

自分が知って、おもしろいと思ったことに対して

 

もっと知りたいという気持ちになる。

 

だから得意になるとか興味を持つとかということについて

 

「知る」ということはとっても大事になる。

 

自分自身もそうだし、親としても子ども達が「知る」ことに

 

出来るだけ多く接することができるようにしてあげたいなーと思う。

簡単なことじゃない

自分(自分たち)がよりよくなるために

 

周りの人に変わってもらいたいと思ったりする。

 

もちろん、前向きに話し合うってことはできる。

 

ただ、基本的に人を変えることは出来ない。

 

人が変わるための力になることはできたとしても。

 

変えることが出来るのは自分自身。

 

とはいえ、自分自身を変えるのだって簡単なことじゃない。

 

だから、それよりも難しい”人を変えようとする”ってことは

 

あきらめよう。

 

それよりも自分が変わり、周りの人に寄りそっていくことで

 

何か変化が起こるかもしれない。

共に成長する必要性

機械は確実に高度になっているのは誰もが認めることだろうけど

 

それを使う人間は確実に成長・発展・進化してるんだろうか?

 

誰かが言っていた。

 

「検索する機械が能力を高めるほど、

 

それを使う人間の質問・問いかけは、いい加減になっていく」

 

その通りだと思う。

 

適当に検索しても、それなりに的を得た答えを得ることが出来る。

 

機械にはそれでいいのかもしれないけど、

 

人間相手で、いい加減な質問をしても

 

的外れな答えしか返ってこないかもしれない。

 

機械と共に僕たちも成長する必要がある。

 

 

日々の些細な楽しみ

年齢も年齢だけに自分の体をほったらかしにせず

 

健康体で、自分が思うように体を動かせるように

 

日々メンテナンスをする。

 

部分的に疲れがたまったりすると、

 

ストレッチなどでほぐし、疲れ続けることがないようにする。

 

時には身体に負荷をかけて鍛えてみたり。

 

そんなこんなで少しずつ思う様に動ける身体に近づいている。

 

そういうことも日々の些細な楽しみでもある。