やっぱり理解し合いたい

「伝える」ってむずかしい。

 

自分では分かっていることも

 

”伝える”となると、同じようにはいかない。

 

自分が伝えたいことを、いかにして伝えるか、

 

この伝え方だと理解してもらえるか、

 

なんてことを延々と考えながら準備をする。

 

100%の正解はないし、

 

理解してもらえるかどうかは

 

アンコントロールな部分だと分かってる。

 

でもさ、やっぱり僕らは理解し合いたい生きものなんだよね。

 

それに、”この伝え方はどうか?”っていうことなんかを

 

考え続けたいんだよねー。

 

 

 

 

正解よりも大事なことがある

正解が出るのを待っていてはいけない。

 

正解を待つところには挑戦がないからだ。

 

質問に対して、ありきたりの答えを言うだけでは、

 

そこに挑戦はない。

 

たとえ、その答えが正解でなくても、

 

正解よりも大事なことがあるからだ。

 

人からの指示を待ったり、答えを待つよりも、

 

自分から「ああしてみよう、こうしてみよう」と、

 

次々と挑戦が出てくるような「力」をつけているだろうか?

 

成功なのか失敗なのかを気にするような

 

挑戦しにくい環境を自ら作っていないだろうか?

 

決まりきった答えをたくさん知っているほど

 

挑戦することを避けがちだったりするんだよね。

一人一人の生活が土台

自分の失敗や家族の中の小さな問題、

 

身の回りのしんどい状況、


もちろん飛び上がるほど嬉しいことも


笑顔溢れる楽しいことも、

 

「世界」という視点から見れば、

 

ほんとうにささいなことかもしれないけど、

 

世界の問題や社会の状況を


忘れてしまうような物事が

 

僕たち一人一人の生活の中にある。

 

どんなに大きく重要だと思われる物事も、

 

僕たち一人一人の平凡な「生活」という

 

最も小さい単位を土台にして存在してて、

 

その一つ一つの「生活」を否定したり、

 

ないがしろにしないということを


大事にしたい。

 

 

「借りた考え」を深く見ていくなら

日本という国の文化として、自分の考えを

 

そのまま口に出したら差し障りがあるかもしれないので

 

自分の主観を口に出すよりも、

 

その場の多くの人の主観を調整した”客観”なるものを

 

受け入れて、それを語るというところがある。

 

でも今の状況になり、多くの人が顔を合わせない中で

 

自分の主観をためらいもなく発信する。

 

そういった状況に、なにか違和感を感じるんだけれども、

 

それについては、また別の機会に書くとして、

 

人は他の人の主観となる意見を借りて、

 

自分の意見として発したりする。

 

それは必ずしも悪いわけではなくて、

 

その「借りた考え」を深く見ていくなら、

 

少しずつ「自分の考え」のようなものが見えてきたりする。

 

そういったほんの少しのものを見つけて、集めていくと、

 

「自分の考え」が形を作っていく。

 

だから「借りた考え」を右から左に流さないで、

 

しっかりと一つ一つ見ていくということが大事なんだよね。

 

 

数ヶ月後のさらに先にある姿を想像しよう

昨日書いたことの続きのようなことだけど、

 

先のことが分からないなりに

 

僕らは「どうなっていたいのか」を

 

想像することができるし、語り合うことができる。

 

さらにいうなら、数ヶ月後に想像しているように

 

なっているためには、さらに先の到達点である”数年後”

 

のことも考えておく必要がある。

 

数年後のことなんて、

 

さらに分からないことだらけかもしれないけど、

 

分かること、Aという姿でいいのかダメなのかということを

 

決めておくだけでも、今から何を考えておくべきかということが

 

少しは分かる気がする。

 

数ヶ月後のさらに先にある姿を想像しようとするからこそ、

 

数ヶ月後の”なりたい姿”が語り合えるんだと思う。

 

 

語り合える「日常」

今のような状況に慣れてしまうと、

 

”三ヶ月後のことは分からない”、

 

”ましてや一年後、三年後のことなんか分からない”

 

と言ってしまいがちだけれど、

 

今の状況でも、前のような状況でも

 

先のことがハッキリ分からないのは同じことで、

 

先のことがきちんと当たる必要もない。

 

だから今こそ、外れても、曲がったとしても

 

「どの方向にいくつもりか」

 

「どっちに行きたいのか」を

 

語り合える関係や場、そして

 

語り合える「日常」が大切なんじゃないかと思う。