responsibility

人間関係における”責任”とは何だろうか?考えてみたことがあるだろうか?僕たちは色んな人と接することがあるが、ある意味で、すべての人と同じように接する訳ではないと思う。

ある人とはよりプライベートな話をするし、ある人とは仕事の話程度ならするかもしれないし、ある人とはあいさつや「最近どう?」ぐらいの接し方かもしれない。

よりプライベートな話をするときに、相手に対してどのように言うべきか、どのようにアドバイスすべきか、ということを考えると共に、それに対する”責任”も感じる。話す相手が真剣であるほど、やはりこちらも真剣に向き合い、考え伝えたい。適当な言葉は言いたくない。

それを通して自分自身も練られ、成長していくように感じる。

Basketball Night vol.1

昨日友人の誘いで(強引にかもしれないが、、)とある学校で行なわれているバスケに参加してきた。話によると結構強い学校のようで、休日の夕方6時にも関わらず小学校低学年の生徒から大人(OB)まで色んな世代の人たちが集まりゲームをしていた。

自分は大人のゲームに参加させてもらったのだが、みんなバスケ経験者というゲームに参加したのは何年ぶりだろうか?やはり体力の衰えは隠せないなーということを実感。

そこに集まっている人たちは基本的に(自分たちを除いて)その学校の卒業生で毎週集まりゲームをし、お互いの事をよく知っている感じで、こちらとしてはどんな感じのプレー・スタイルなのかなど探り探りの中、楽しんでゲームに参加できた。

高校を卒業した後、本格的にスポーツをする機会がほとんどなかったので、かなり疲れた。”もう少し運動してればよかった”と少し後悔しそうなぐらいスタミナ切れ。バスケは”習慣のスポーツ”と言われるぐらい継続して練習することが大切なのを身にしみて感じた。

だが、これってバスケだけではなく何事においても継続してやることは大切
だと思う。途中で妥協するのではなくやり遂げる。そんな事も思い起こさせてくれるクタクタになった夜だった。

father's Day

いつも通っている教会にて父の日のスペシャルイベントとしてJoshua氏のミニコンサートを行なった。彼の歌声は素晴らしく、またMCもおもしろく楽しい時間だった。

今日は父の日なのだが、みなさんはこの日に何を感じるだろうか?

周りには素晴らしいお父さん達がたくさんいるし、また自分の父親もとても素晴らしい存在で尊敬している。だが、今年の父の日は今までとは違う。

というのも、僕自身、数ヵ月後には実際に父親としての生活が始まるという立場にいるからだ。本当に楽しみで仕方がない。色々と難しいところも通るだろうが、それにも増して喜びに溢れた日々になると思う。

そして来年の父の日は今年とは違った日になるだろう。

to serve

コンサートの出演などで色んな場所に行かせていただくことがある。また、いつも通っている教会に行くし友人の家に行くこともあれば実家に帰ることも当然ながらある。皆さんも少なからずそういった機会があると思うが、その時の心はどんなものだろうか?

少し変な質問かもしれないが、考えたことがあるだろうか。

友人の家に行く時、実家に帰る時、もてなされることを考えながら帰っているだろうか?何かを受ける・与えられることだけを考えて足を運んでいるだろうか?

確かに僕たちは受けることはある。その場所で安息を得たりするだろう。だが、自分自身がいつも心がけるというか思っていることは”仕えること”だ。

その場所に行き、もてなされることが当然なのではなく、”仕えること・与えること”を考え足を運ぶ。聖書の中にも”与えれば、与えられる”という原則が書いてある。この世の中の”いかに与えてもらうか”という文化に真っ向から挑んだ歩み方をしたいものだ。

bias

しばしば感じることだが、同じ環境というか同じコミュニティーにある程度長い時間いると、そこでのやり方、方法、考え方に疑問を持つことを忘れてしまいがちになる。

これは同じ環境、コミュニティーに長い時間いてはいけないということではない。だが、何か新しいことを始める時に不必要な先入観を持ってしまいがちだ。”今までこのやり方だったから、これからもこのやり方で、、、”というように。だが、もっと良いやり方があることを求めることは大切だと思う。

時には外からのインプットも必要だ。

imperfect

昨日のJournalでは、人を”裁く”ことについて少し書いたのだが、それにつながるというか関係していることで最近感じていることに”同意”ということがある。このことについて詳しく書くのはもう少し自分自身の中で整理できた時点になるとは思うが、今の時点で感じていることを少し分かち合いたいと思う。

まず、僕たちは一人で生きるようには造られていないと思う。人は一人では産まれてこないし(親を通して産まれてくる)、あらゆるコミュニティの中で僕たちは育ち、また生活している。そんな中で、誰もが”同意”ということを頭で考えないにしても、肌で感じていると思う。

人は誰一人として同じ人間はいないのだから、すべてが全く同じ考え、やり方ということはありえないだろう。そんな中で、僕たちには選択肢がある。それは、人と同意できる部分をベースとして接していくか、それとも同意することのできない部分をベースとして接していくのか。

すべての事について完全な人は一人もいない。それを踏まえたうえで、どちらを選択するだろうか。今一度考えてみる価値があると思う。