自分の「主観」が減っていく

本来は人の数だけ「主観」は存在する。

 

「僕はこう見る」「私はこう思う」など

 

一人一人のところにあるはず。

 

でも、「主観」をそのまま言うと

 

多かれ少なかれ難しくなることも出てくる。

 

だから、みんなだんだんと「主観」を言わなくなる。

 

そして、自分の「主観」ではなく

 

みんなの”主観”を集めた平均値のような「客観」を

 

「主観」のように言うようになる。

 

つまり、みんなの中で”正しそうな”ことを言うということ。

 

そんなことを繰り返しているうちに

 

自分の「主観」が減っていく。

 

そんなことを考えていると、音楽(ラップ)を通して

 

自分の「主観」を発信できていることに

 

どこか救われているのかも、と思えてくる。

思っている以上に理解していないものだ

人はすぐに自分(たち)は自分(たち)のことを

 

理解していると思ってしまうし、

 

相手は自分(たち)のことを理解していないと思ってしまう。

 

でも、僕は自分(たち)は自分(たち)のことを

 

自分(たち)が思っている以上に理解していないし、

 

相手が分かっていないのとは別の意味で

 

自分(たち)のことを分かっていないというところに

 

立つべきなんだと思う。

 

当然ながら相手から誤解されることもあるし

 

自分(たち)が誤解することもある。

 

逆に理解されてると感じることもある。

 

というようなことを肝に命じたとしても

 

僕たちは忘れて、自分(たち)のことを知っていると思ってしまう。

「チャレンジしている」からこそおもしろい

子どもでも大人でも、心臓がドキドキするようなことがある。

 

スポーツでも音楽でも人前で何かをやるときとか

 

テストなど、失敗したらどうしようということがある。

 

でも、そういう緊張感があるということは

 

いいことなんだと思う。

 

というのも、「チャレンジしている」からこそ

 

そういう風にドキドキを感じるし、

 

「チャレンジしている」からこそ

 

そういう場に立っているということなんだと思う。

 

”失敗したらどうしよう”とか考える時には

 

成功したり成長する「チャンス」が隠れている。

 

だから、自分がそういう場面に立つことも

 

人がそういう場面に立つことを見るのもおもしろいんだと思う。

子どもだけじゃないよ

この卒業・卒園シーズンに子ども達の姿を見て

 

多くの人は子ども達のこれから(将来)に希望があるという。

 

”これからも夢に向かって歩んでね”

 

という言葉を何度も聞いた。

 

でも、声高らかに言おう。

 

「子どもも大人もこれからに希望がある!」

 

子どもを見送る大人たちも、夢に向かって歩もう。

 

そのまた年上のお年寄りにも希望があるし、

 

夢に向かって(夢の中を)歩もう。

 

子どもだけじゃないよ、希望があるのは。

選択を日々積み重ねる

子どもでも大人でもお年寄りでも


どんな人にも多かれ少なかれ


人に対してイライラすることがあったり


ずるいことや良くないことを


考えついたりする。


逆に、自分には割と甘いというのが


人間なんだと思う。


そのうえで、


「どうありたいか」が問われている。


人へイライラをぶつけたり、


人の自分への態度にイライラや


怒りで反応したり、


人を疑ったりということを


「する人としてありたい」か、


「しない人でありたい」のか。


その選択を日々積み重ね、


僕たちの人格や人柄が出来上がっていく。

まず、本気でがんばる

何かを上手くなるために

 

世の中には色んな”コツ”や”方法”が出回っていて、

 

その道の先輩たちも教えてくれたりする。

 

それを知ることで少しは上手くなるってことも

 

あるかもしれない。

 

ただ、その”コツ”や”方法”の前に必要なのが

 

上手くなりたい「本人」が「本気でまず頑張る」ことだ。

 

本気で頑張っているうちに

 

”こういうことか!”というような”コツ”や”方法”を発見していく。

 

「本人がまず頑張る」をとばして、

 

いくら教えてもらったり、逆に教えたりしたとしても

 

それはただの情報に過ぎないのかもしれない。

 

大事なのは、本人が「まず、本気でがんばる」なんだと思う。