「今」に安住せずに進んでいく

明日、明後日のための準備を今やる。

 

それは、明日、明後日にやることが

 

良いものになるように、ということと、

 

「今うまくいっている」ならそれをキープするため、

 

もしくは、今の”良い”状態をもう少し良くするためだ。

 

ただ、これだけでは足りないというか

 

追いつかない部分があって、

 

「明日、明後日のための準備と、

 

もう一つ、半年後や一年後、もっといえば三年後の

 

ための準備をする」ということが必要になる。

 

だから、今のことに多少の支障があったとしても

 

もっと先にも良いものであるための準備をする勇気が

 

必要になるということだと思う。

 

言葉で書くのは簡単だけど、これはなかなかできるもんじゃない。

 

「今」を壊してしまわずに、でも「今」に安住せずに進んでいく。

 

これが今、問われているなーって思うんだよね。

必然的に「本質」が問われてくる

次から次にやらないといけないことがあるときは、

 

立ち止まって、じっくり考えてみることや、

 

別の視点から見直すことや、

 

一旦ストップしてみるということや、

 

そもそもの原点から考えてみるということがしにくい。

 

そういうこともあって、忙しさは本質を見えにくくする。

 

ただ、「忙しく頑張っている」という自分を含め

 

周りに対するアピールもあったりで、

 

”忙しく頑張っている”が故に自分を許してしまったり、

 

周りも納得せざるを得なかったり。

 

でもさ、今のような色んなことをストップして、

 

スローにやっていくということになると、

 

アピールも許す理由という自分を守る盾も失う。

 

そうなると、必然的に「本質」が問われてくる。

 

なので、そこを突き詰めれてなければ、

 

引き出しがずいぶん少なくて苦しいなんてことにもなる。

 

「多忙さ」がある意味で自分を助けてくれていることを知りつつ、

 

本質の大切さをあらためて実感するよね。

 

足をとられていないだろうか

「安全」「安心」には魅力がある。

 

特に今の世の中では。

 

でもそれが、いつの間にか"事なかれ主義”にすり替わり、

 

万が一のことがあった時に問われることがイヤだから、

 

そうしておこう、ということに行き着いたりする。

 

でも、それは一体誰のための決定なのか?

 

自分を守るため、自分が評価されるためではないか?

 

そのことが、多くの人を苦しめていないか?

 

それこそ人に対する大きな”無配慮”なんだと思う。

 

「守る」「自粛」ということが、とても魅力的になり、

 

それを必死で求めるようになったり、その状態でないと

 

不安になったり、それで身動きがとれなくなったり。

 

「守る」「自粛」を健康的に受け止めることができてるだろうか。

 

「守る」「自粛」に足をとられていないだろうか?

 

僕は「やる」「再開する」に対して敵のように見だしているなら

 

すでに「守る」「自粛」に足をとられていて危ないと思う。

 

最初のイメージから何も検証されずにいて、

 

何も考えずに「自粛」が求められて、

 

数年後に「あれは過剰でした」では済まされないんだよね。

 

足を引っぱりあって、つぶし合ってではなく、

 

互いに認め合いながら、前に進んでいきたいよね。

いかに意識的に時間を使うか

今の時間をどう使うのか、今日の時間をどう過ごすのか、

 

そういうことを「言語化する」ということで、

 

時間の過ごし方がより明確になっていく。

 

曖昧なまま、ボーッとしているなら、

 

ボーッと時間が過ぎていく。

 

ただ、僕らは言われたことをやるだけでも

 

汗をかいたり、疲れたりして、

 

終わったころには、どこか充実感があったりする。

 

でもそれは、どこに向かっている時間の使い方なのか

 

わからないから”自己満足”になりやすい。

 

自分の目的に対して、より質の高い時間を過ごす人は

 

「無意識に時間を過ごす」ことを減らし、

 

「いかに意識的に時間を使うか」を考えてたりするんだよね。

できるんじゃない?

「できるような気がする」「もうすぐできそう」

 

こういう感覚を大事にしたい。

 

「できないかも」とか「多分できない」とか

 

感じながらでも、やってみてできるということはある。

 

でも、「できるんじゃないか」と感じながらやってみて、

 

「やっぱりできた」ということは

 

何倍も、こころというか気持ちの栄養になる。

 

その「できるんじゃないか」「できそう」を

 

1回でも多く経験していくことが、

 

その先にある「できるんじゃないか」を見つけ、

 

「できるんじゃないか」を感じとる力になっていくんだよね。

あの時やってよかったよね

今の状況なんかを含めて、今やらなかったとしたら

 

「やらなかった今〜その後→数ヶ月後、数年後の自分」

 

になっていくんだよね。

 

過去のあの時にやらなかったとしたら、

 

「やらなかったその時〜その後→今」

 

になってる。

 

今の自分はどうだろう。

 

「やった〜その後→今」

 

になってるだろうか。

 

2020年の今、数ヶ月後、数年後の自分が

 

「あの時やってよかったよねー」

 

って言えることを、今、夢中になってやろうと思う。