"ふつうじゃない"がちょうどいい

あの人もこの人も、ほとんどの人が


自分のことを「ふつう」だと思ってる。


口には出さないけど、ときおり見せる行動や


言葉や考え方が"自分はふつう"だと


物語っている。


いや、もはやこれは本人も気付いてない


レベルで起こっていることかも。


これのおもしろいところは、


「ふつう」だと思っている本人以外の人は


その人のことをふつうだと思ってないところ


なんだよねー。


僕らは自分の行動や言動、やり方や考え方は


"ふつうじゃない"と思っててちょうどいい


ぐらいなんじゃないかなー。

"正しい"と思いそうなときは

自分が"正しいことをやってる"と思うと


どうしても、周りの人たちが


"正しいことをやっていない"ように見えてしまう。


"どうして正しいことをしないんだろう"とか


思ってしまったりもする。


そして自分のやってる"正しいこと"に


周りの人がついてこないなら


その人たちを"遅れてる"とか"わかってない"


みたいに扱ってしまうんだよね。


自分のやってることが"正しい"と思いそうなときは


自分は「好きでこれをやってるんだ」とか


「楽しいからやってるんだ」ぐらいに


思ってやるのがちょうどいいのかもね。

「考える」と「行動する」

なんでもうまくいっている人なんて


いないのだから、うまくいかないことについて


考えるってことは結構ある。


でも、"考える"ってことは体を動かすこととは


違って、ほぼ際限なくできてしまうから


考えることに時間を使いすぎてしまって、


解決するために体を動かすことに


たどり着かないなんてことになったりもする。


行動し、また考えるということはできるけど、


"行動しながら考える"ということは難しい。


考えた上でやってみる。そしてまた考える。


そういったことの繰り返しが


「考える」と「行動する」というメリハリの


ある生き方を生むんだと思う。



自分の枠組みに入らないこと

日本では当たり前なことが


他の国では当たり前ではないことなんて


たくさんある。


虹の色一つとっても、日本では7色でも


他の国、他の文化では2色だったり3色だったり。


それと同じように自分の感じ方や考え方も


まったくもって世界共通ではないってこと。


自分の感覚では喜びに感じることも


人が違えば、それを喜びに感じないと


いうこともある。


今起こったことについて自分はすぐに悲しさ


感じるとしても、他の人はずいぶん経ってから


悲しみを感じるかもしれない。


だからさ、自分の枠組みに入らないことなんて


山ほどあるんだってことを意識しておくのは


大事なのかもね。



その場所に立てること

「チャレンジできる場所に立てる」


ということを喜ぼう。


自分で決めたにしろ、人から選ばれたにしろ


その場所に"あなたは立っていい"


とされているんだから。


それは誰にでもできることじゃない。


だからこそ、その場所に立って


"こんなことをしてやろう"とか


ワクワクしながら考えて、イメージしよう。


そのワクワクやドキドキする緊張感は


買おうと思っても買えないんだから。






チャレンジしているからこそ

緊張感があるような場所に立てることは

 

結構いいことなんだと、

 

自分がそういう場に立って改めて感じる。

 

だって、チャレンジしているからこそ

 

そういう場に立つことができる。

 

”失敗するかも”っていうようなところに

 

チャンスが見え隠れしている。

 

だから、もっとよろこんでいいんじゃないか?

 

そういう場に立てるということを。