「今」じゃだめなのか

目標や夢を持って、

 

それに向かってやることをリストアップし、

 

その中には、毎日コツコツやっていることもあれば、

 

「いつかやろう」と思っていることもあるかもしれない。

 

そもそも、夢や目標があるってこと自体が幸せなことだと思う。

 

それと同時に、「いつかやろう」と思っていることが

 

「今」じゃだめなのかってことも、

 

頻繁に自分に確認していったほうがいい。

 

だって、誰もが時間は有限だからね。

習慣が当たり前になっていること

「学ぶ」とか「本気・真剣になる」っていうのは、

 

気分が乗ればできるという面もあるけど、

 

それをある程度、継続性をもってやるとか、

 

高い質でやるとなったら、結構、練習がいる。

 

練習というと大げさかもしれないけど、

 

日頃からそういう習慣が当たり前のようになってないと、

 

いざ「学ぶ」や「本気・真剣になる」となったときに

 

なれるものでもないし、逆にしっかり力を抜くということも

 

できなくて、ダラダラしてしまったりする。

 

しっかり休んだり、しっかり遊んだり、しっかり学んだりという

 

「本気・真剣になる」は、その場しのぎではできないんだよねー。

これが生きるってこと

「やりたくてやっている」ということの生み出す

 

エネルギーや大きな喜びは無視することができない。

 

損得や短期的な結果を出すことを何よりも優先して

 

考えるようなことは、この社会で蔓延しているけど、

 

「やりたいからやる」「やらずにはいられないから必死にやる」

 

っていうことを目の当たりにしたとき、

 

「これが生きるってことだよね」と、

 

あらためて教えられた気がするし、

 

それが自分もやりたいことだなーと思わされる。

 

そういうことは、「これだよね、いっしょにやろうぜ」って

 

周りの人をいい意味で誘っていくんだよね。

そのやり方を続ける?

ビジネスの世界なんかで、長年、結果が出ていないという

 

やり方を延々と今も続けるということは

 

ある意味で、あり得ないこと。

 

ではそのことを人の指導や育成にあてはめるとどうだろう。

 

長年、そのやり方では、ものすごく小さな世界の

 

ものすごく目先の結果は出たとしても、

 

数年後や将来における、大きな世界での結果は見えてこない

 

とするなら、そのやり方を続けるだろうか。

 

いや、そのやり方を続けるということは

 

指導・育成の対象となる人たちにとって

 

ものすごく無責任なことにならないだろうか。

 

指導者のエゴや勉強不足などの無責任な態度で

 

指導・育成の対象となる人たちの将来が

 

小さなものとなっていくことは

 

とても悲しいことだ。

 

そういったことを少しでも減らすために、

 

自分に出来ることを、まずやっていきたいよね。

「スタイルの違い」だけではない

「スタイルの違い」ということだけではないこともある。

 

たとえば「人を育てる」ということを考えたとき、

 

人の根本の部分まで考えてアプローチしているのか、

 

表面的な部分を考えるのにとどまったアプローチなのか、

 

この二つは、ただスタイルが違うということだけでなく、

 

人をどこに導きたいのかというビジョンや目的地が

 

そもそも異なるんだと思う。

 

日頃、身近な人にどういうふうにアプローチされているかは

 

大きな影響力があるけど、

 

それでも限られた時間の中で、大きなインパクトを得るという

 

ことも人生の中にはあって、

 

自分の人生を考えても、そんな瞬間は何度もあったなーと思うし、

 

その出会いのおかげで今の自分がいるなーって思わされる。

 

 

勝負の結果よりも

勝負の結果でしか自分を認めることが出来なかったり、

 

自分を肯定できないのだとすれば、

 

それはなんてしんどい生き方なんだろうと思う。

 

勝負に勝ち負けはついてくる。

 

でも、それはコントロールできることではない。

 

いくらこちらが最高の出来だとしても、

 

相手がそれを上回っていれば勝負には負ける。

 

それによって自分たちを否定することになるなら

 

そんな悲しいことはない。

 

自分たちの目標を理解し、それを達成するために

 

するべきことを理解し、

 

それに向かって進んでいるかどうかを大事にする。

 

そして、そのプロセスを楽しむことが

 

本来、大事なことなんじゃないかと思う。