1つの目標にすること。
前を見て、進むことをやめないで
走っている人の背中は、
後からスタートした人にとっての
素晴らしい目標になる。
自分にもそういう目標になる人がいるし、
自分もそういう存在でありたいと思うんだよね。
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そう簡単にパラダイスは見つかるものじゃない。
そして、見つかったとしても、なかなかすぐに
たどり着けるものではない。
そんな中で大事なことは「遊ぶようにチャレンジする」こと。
なぜなら、失敗を経験することで、
今の方向を修正すればいいということが学べるし、
チャレンジによる失敗を積み重ねることで、
1歩ずつ、確実に目指すものに近づいていけるんだよね。
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生きている間、ずっとついて回る課題だけれど、
自分が死んだときには、
「あの人は、そこに集まるみんなが笑顔になれる
場所を作っていたよね」と
言われたらいいだろうなーという、
なんとなくの希望みたいなものはある。
お通夜なんかにも人が泣きながらではなく
笑顔で集まりながら、
集まっていた頃のことを笑顔で話したり、
そこでもみんなが楽しく過ごすなんて、
ほんといいだろうなーって思うんだよね。
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人はその人をサポートしたくなるし、
その人を他の人に紹介したくもなる。
その人が成り遂げたいことに対する情熱は、
何よりもその人の魅力をくっきりとさせる。
そして、その志に動かされた周りの人たちも
横つながりで繋がりあい、
魅力的なコミュニティが生まれていくんだよね。
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「たくさんよく話をする人が
話をすることが得意というわけではない。
話をするときというのは、話できることを話しているだけで、
話できないようなことは、話できない」
というのがある。
それは話のことだけではなく、指導でも、チーム作りでも、
コミュニケーションでも色んなところで同じだなーって
思うんだよね。
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僕たちは打ち解け、対話が進むようになる。
お互いの内面が見え、思いや価値観に触れ、
それを感じ、急速に距離が縮まっていく。
そうなっていくことで、よりおもしろいアイディアが
出てきたり、主体的なアクションが増え、
多様性がより意味を持つようになってくるんだよね。
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今日やっと触れたんだけど、
自分の期待とは全く違って、
ものすごく多くの気づきと発見があって
なんか久しぶりにビックリした感じがする。
それと同時に、また学びたいことが増えて、
学びがほんと尽きないなーと思わされるんだよね。
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「既存のものと既存のものを新しい視点で組み合わせること」
を説き、
かの有名な物理学者は
「実り多き思考には組み合わせ遊びが欠かせない」
と言い、
かの有名なビジネスマンは
「創造力とはまさに物ごとを繋ぐこと」
と言った。
つまり、常識に疑いを持ちながら異なる価値観に気づき、
新しい視点で組み合わせ、繋ぎ、価値を生み出すということが
大事なんだよね。
]]>観客がいなくてもコンサートはできる。
でも、観客の存在というのは、
ビジネス以上の何かを生み出してくれる。
人が集まって、集まることによって何かの
影響を与え合っていく。
応援してくれる存在、支えてくれる存在と
一緒に集まる「場」というのが、
とても大事なように感じるんだよね。
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新しい価値を見出してくる。
”当たり前”や”常識”という道から外れ、
一見、道を誤ったのかもしれないと思える生き方。
みんなで同じように働くとか同じように取り組むという
ミッションからいえば、失格とされるかもしれない。
でも、そうやって外れた道をうろうろした存在が
今よりもっと素晴らしい価値や道を発見する。
こういう存在が多くの組織とかチームとか社会に
必要になるんだと思うんだよね。
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父親であったり母親であったり、
先生であったりコーチであったりの
役割を演じているといえる。
それを自分の人生の一部分として受け入れ、
楽しさや難しさを感じながら生きている。
そんな中で”演じさせられている”と感じたときに
問題が出てきたりする。
そうではなく、主体的に演じることが大事なんだよね。
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毎日いつも通りということもいえる。
「何ごともない日」というのは毎日ともいえるし、
そんな日はなかなかないともいえる。
毎日何かを発見し、
毎日何かを忘れてもいる。
そんな毎日でも、幸せを感じることはできるし、
人のことを想うことはできる。
その人たちのことを想いながら、
みんなが幸せであることを願う毎日で
ありたいと思うんだよね。
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異なる価値観、異なる信念、異なる文化を持った人たちが
混在している方が、最初は面倒くさくて大変ではあるけど、
最終的には高いパフォーマンスを発揮するといえる。
成熟するためには、多様性が力になる。
多様性が持続可能な集まりを作る。
これからの社会を作っていく子どもたちには、
この「最初は大変なんだけど」というところを
乗り越えていけるための力や知恵をつけていく必要があるし、
そのための環境作りを少しでもサポートしていけたらと
思うんだよね。
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それは、モノがほしいでも、おいしいものが食べたいでも、
いい成績を取りたいでも、誰よりも強くなりたいでもなく、
「お父さんお母さんが仲良くいること」なんだと思う。
時に色んなことがあって、一人親になることもある。
そういう時でも、その一人親が平和でいてくれることが
子どもの願いであり、その他のどんな願いも、
その上に積み上げられていくものだと思う。
親が仲がいい、家族が仲がいい、親が平和でいてくれる。
それはすべてだともいえる。
そして、自分がこの人生の中でかかわる人たちが
この方向に行けるように微力ながら力になれたらなーって
思うんだよね。
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それとも「人間はそれぞれ違うからわかりあえない。
でも、わかりあえないもの同士が、どうにか共有できる部分を
見つけて、それを広げていくことはできるかもしれない」
というスタンスで考えるのか。
わかりあえることを前提にすると、わかりあう可能性の低い人を
排除する”しま国・ムラ社会”の論理が働き、
”わかりあえないのだから放っておこう”ということになる。
でも、価値観や背景の違う人と、どうにかして共有できるところを
見つけ、コミュニケーションを取っていくというのが、
これからのグローバル社会を生きていく上で必要なセンスであり、
能力なんだと思うんだよね。
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