足をとられていないだろうか

「安全」「安心」には魅力がある。

 

特に今の世の中では。

 

でもそれが、いつの間にか"事なかれ主義”にすり替わり、

 

万が一のことがあった時に問われることがイヤだから、

 

そうしておこう、ということに行き着いたりする。

 

でも、それは一体誰のための決定なのか?

 

自分を守るため、自分が評価されるためではないか?

 

そのことが、多くの人を苦しめていないか?

 

それこそ人に対する大きな”無配慮”なんだと思う。

 

「守る」「自粛」ということが、とても魅力的になり、

 

それを必死で求めるようになったり、その状態でないと

 

不安になったり、それで身動きがとれなくなったり。

 

「守る」「自粛」を健康的に受け止めることができてるだろうか。

 

「守る」「自粛」に足をとられていないだろうか?

 

僕は「やる」「再開する」に対して敵のように見だしているなら

 

すでに「守る」「自粛」に足をとられていて危ないと思う。

 

最初のイメージから何も検証されずにいて、

 

何も考えずに「自粛」が求められて、

 

数年後に「あれは過剰でした」では済まされないんだよね。

 

足を引っぱりあって、つぶし合ってではなく、

 

互いに認め合いながら、前に進んでいきたいよね。