共に生きる小さなかけら

お店や教室など押したり引いたりしてドアを開けて入るとき、

 

ドアを持っている手を離すときに、後ろから人が来ているかどうか

 

目で確かめて、後ろから来る人がドアを押さえるまで、

 

ドアを自分の手で押さえていたりするのを見かけたりする。

 

そんな小さな行動・行為=小さな思いやりが、見ているこちらまで

 

何かあったかい気持ちにしてくれる。

 

一方で、テクノロジーは数え切れないほどの便利さを

 

僕たちに与えてくれている。

 

今や当然のようにドアの前に立てば、ドアは自動で開いてくれる。

 

たとえ両手に荷物を持っていても、また体が不自由な方々も

 

ドアの前に行けば自動的に開き、自分で閉める必要もない。

 

自動ドアを入るときに、後ろから来る人のことを思いやることはまずない。

 

後ろから来る人が車いすの人であっても、である。

 

自動ドアの良さは必ずある。

 

ただ、それと共に自動ドアが僕たちから奪ったものがあることも

 

忘れないでいたい。

 

それは、

 

「自分の後ろに続く人のことを思う心」。

 

言い換えれば、”共に生きていて、共に支え合っている”ということ。

 

自分以外にも他人が存在していて、自分もその人も思いやり合い、支え合うことを

 

必要としているということ。

 

こんな基本的なことが、ドアの開け閉めなどのささいなことを通して

 

その度に思い出すことができるのと、そういうことが無いのとでは

 

近い将来、人の心は大きく変わっていくんじゃないかと思う。

 

もしかしたら、すでに変わってしまっているのかも。

 

他者を思いやるということが減り、その思いやりを持つことが生み出す

 

「魅力」を持つ人が減ってしまわないために、自分には何ができるだろう。