経験を盗まない

何かを先に経験していると、後で同じようなことを経験する人に

 

ついつい教えたくなる、そういうところが僕たちにはある気がする。

 

大人同士でも、大人と子どもでもそういうことがある。

 

”ついつい教える”、それは良かれと思ってやるのがほとんどだと思う。

 

”教えてあげる”ことで、その人がすぐに理解出来るように助けてあげる。

 

でも、いつも僕たちが頭に入れておきたいことは

 

「人が考えたり、感じたり、悩んだりする、そういう経験を盗まない」

 

ということ。

 

良かれと思ってやることが、人の経験を盗む。

 

目先のことだけ考えると、教えてしまう方が早い。

 

でも、人が考え、悩み、解決策を見いだす(それには時間がかかる)ことが

 

少し先の将来、壁にぶつかったときに、きっと役に立つはず。

 

だからこそ経験を盗まず、人が助けを必要としたときにこそ手を差し出す。

 

そういうスタンスでありたい。

 

 

最初から最後まで一人

今はたいていのことがひとりで出来てしまう時代。

 

でも、人って一人で居続けたり一人で何かをやり続けると、

 

だんだんおかしな方向にいきやすいもの。

 

インターネットは分かりやすい例で、

 

そこには一人だけの世界があって

 

自分だけで考えて、自分だけで何かを作ったり表現して、

 

自分だけで完結したりする。

 

誰とのコミュニケーションもなければ、ネガティブな方に考えたり、

 

顔が見えないものだから人を傷つけたり、、、。

 

人ってどうも”最初から最後まで一人”っていうのはあまりよくないようだ。

 

 

”良し”と認められること

人は自分が認められていると感じ、安心感を持つときに

 

失敗を恐れずに思いきってチャレンジすることができ、

 

それが成長へとつながっていく。

 

僕はそういう風に理解しているし、

 

脳科学・心理学的にもハッキリと分かってきていること。

 

だから、自分がやったことが”良し”と認められ、

 

安心感を持ち、今よりも少し難しいことにチャレンジしていく。

 

やったことに対して、ダメだった部分ばかり指摘され、

 

それを改善するようにばかり求められるのは、

 

脳が安心感を得られないまま取り組んでいくことになるから

 

思いきってチャレンジすることもできず、

 

結局、成長にはつながらない。

 

人を育てる立場にいる以上、そのことは理解していきたい。

 

 

正しい厳しさ

”厳しさ”とは何だろう。

 

”厳しく育てる・接する”とはどういうことだろう。

 

厳しさとは直接関係無いのかもしれないけど、

 

最近改めて教えられたのは、人を育てる立場として

 

”後出しじゃんけんはしないようにする”ということ。

 

前もって”こういう約束でいこう”と言っておかずに、

 

何かが起こってから、”それはダメだから罰がある”

 

というやりかた、それは後出しじゃんけん。

 

あと、状況を予測して前もって方向性を示さずに

 

起こったことに対してばかり指摘するのも

 

後出しじゃんけんに通じるものがある。

 

こういういくつかのことを考えてみても、

 

”厳しさ”というのは大人の理不尽な反応になりやすい。

 

「正しい厳しさ」には本当に知恵がいる。

 

 

 

 

シンプルであることはごまかしがきかない

何事も基本が大事。

 

そういったことは誰だって聞いたことがある。

 

基本がない中でやることは、

 

言うならば”適当”。

 

で、基本が大事ということと同じく大切なこと。

 

それは「シンプルである」ということ。

 

どうも僕たちは”複雑さ”に頼ろうとするところがある。

 

でも、最近思うことは、「シンプルな技術」ほど

 

状況に対応することができるということ。

 

複雑なものであればあるほど、

 

状況が少し変われば対応が難しくなるような気がする。

 

また、「シンプルな技術」ほど身につけたかどうか、

 

ごまかしがきかない。

 

だからこそ追求のしがいがある。

 

 

 

 

ガンコにいきたい

周りがどうであれ、つらぬきたいことがある。

 

つらぬきたい考え方、つらぬきたいスタンス、

 

つらぬきたいやり方、つらぬきたい生き方。

 

”頑固”というのは良いイメージがないけど、

 

そこばかりはガンコにいきたい。

 

時間がかかるかもしれないし、近い将来だけを見ると

 

いい結果が得られないかもしれないけど、

 

つらぬくことで、その先に良いものが生まれてくることを見ながら。