「夢」ってなんだ

あなたの「夢」はなんだろう?


そんな質問をしながら、


改めて自分にも問いかけている自分がいる。


誰かが言ってた。


"夢は語るものじゃなくて思い描くものだ"


僕としては言葉にできることも


大事なことだと思うけど、


それも"思い描く"ことありきだと思う。


それは夢をポスターのように描けるように


ハッキリ思い描くこと。


見つけた時に「これだ!」って分かるし、


進む方向へ心も体もプッシュしてくれる、


「夢」ってそんなものだと思う。

アタリとハズレだけじゃない

僕たちには第1希望がある。


こうなりたい、こういうことをしたい、


これが欲しい、、、。


こういうことを希望することは


悪いことじゃない。


でも、これらの"第1希望"以外が


"ハズレ"ってわけでもない。


そもそも第1希望を決めてるのは


自分(たち)であって、


客観的にみたら他の第1希望だって


大いにありえるかもしれない。


もしかしたら第1希望が手に入ることで


道を見失うってことだってありえる。


僕たちの人生、


アタリ(第1希望)とハズレ(それ以外)の


2つに1つってわけでもないってことを


覚えておこう。

日常の中にある”すごく楽しい”こと

ささいなことや冷静に見れば

 

つまらないようなことに

 

気がいってしまったり、

 

注意が向いてしまったり、

 

そこに立ち止まってしまう時って

 

心なり体なりが硬くなってしまっていたり

 

弱ってしまっている時なんだろうなーと思う。

 

今から行くところにすごく楽しいことが

 

待っているとしたら、ささいなことが

 

気になりながらも、立ち止まらずに

 

楽しいことがあるところに向かって歩いていくはず。

 

日常の中にある”すごく楽しい”こと、

 

それが見い出せてるかどうかって大事だよね。

世界はずいぶん狭い

インターネットが当然のように使える環境になり、

 

SNSやらで世界中の色んな人と出会ったり

 

つながったりできるようになった。

 

僕らの世界はひろがったように感じる。

 

でも、僕たちの日常の生活はというと

 

行ったことのある場所へ出かけていき

 

知っている人と会って、一緒に仕事やら話やら

 

なんやらをする。

 

一人でどこかへ行くとしても

 

けっこうな確率でなじみの場所に行き

 

本を読んだり、コーヒーを飲んだり、考えごとをしたり。

 

日本を飛び出したりするわけでもなく、

 

遠い国のことを考えたりするというよりも

 

近くにいる人たちのことを考えたりしている。

 

”世界はひろがった”なんて感じているけど

 

僕の世界はずいぶん狭いもんだなーなんて思えてくる。

 

 

”まったくー”も愛情表現だったりする

人に他の人のことをあれこれ言うのは

 

ある角度から見れば気持ちのいいことではない。

 

ただ、角度を変えてみてみると、

 

それは1つの愛情表現だったりもする。

 

人のことを言うひとは、それを他の人に

 

言えるほどに相手のことを観察していて、

 

どこかで気にかけたり、はたまた違和感を感じたりしている。

 

そして、相手とは”まったくー”と言えるほどの

 

キョリで接していたりする。

 

ほんとうに嫌いで、興味もない人のことを

 

僕たちは観察もしない。

 

意外と人は人に興味があって、よく見ていたり、

 

気にかけたりしながら、”まったくー”な部分も含めて

 

関わっていたりする。

 

 

量と質

ものには「量」としての表現(どれぐらいの長さなのかなど)ということと

 

「質」としての表現(どういう内容か)がある。

 

音楽(曲)ということを考えても、その2つが存在している。

 

それと同じように、人に何かをつたえるということにしても

 

量と質がある。

 

たくさんのことを伝えてもらうということで満足することもあれば

 

良い内容を伝えてもらうことで満足するということもある。

 

ただ、人は一度に多くのことを処理できないし

 

一度に多くのことを理解できない。

 

だからこそ相手をみながら、相手の受け入れられる量で

 

相手に伝わる質で伝えようとすることが大事なんだと思う。

 

伝えようとする側の一方的な満足感で伝えたとしても

 

相手に残っていることはわずか、いや、ほとんどないのかもしれない。