着地するところが見えてるか

「何かに打ち込む」ってことがあるけど、


大人になると、どこかかしこくなって


"ほどほどにやる"ってことが


当たり前というか、良しとされてくる。


でも"ほどほどにやる"は


実際のところ、どうなんだろう。


「もういい」とか「嫌いになる」ぐらい


それと"格闘する"中でやっと着地する


ところが見えて、


落ち着くことができるのかもしれない。


"ほどほどにやる"では、


着地点もなく、フワフワしながら


少しキョリのあるところから眺めてる


ぐらいになってるのかも。

知らず知らずのうちに頼みすぎてる

僕自身ももう「大人」という立場であり

 

「親」という立場でもあるけど、

 

世間一般的に見てみて

 

その立場にいる人たちからの意見やら提案やら指摘が

 

もっと減れば、子どもたちを含め、

 

社会も、もっとリラックスしたものになって

 

もっとのびのびしたものになるんじゃないかなーって思う。

 

上の世代から子どもたちの世代に教えたりすることは、

 

”〜すべき”とか”こうあるべき”とかってことよりも、

 

子どもたちをもっと自由にするようなことなんだと思う。

 

僕たち「大人」や「親」は、知らず知らずのうちに

 

子どもたちに”頼みすぎ”なんだろうなー。

「できている」ようになるコツ

「できるかどうか」は、厳しい状況に置かれると

 

よりハッキリと分かる。

 

「本当にできる」か「できてない」けど

 

できるように見せかけていたかは、その時に分かる。

 

ほんとうのところ「できてない」ことを

 

見ている周りの人が分かるということもあるけど、

 

それとは別に、自分自身が「できている」か「できてない」かを

 

分かっているかどうか。

 

もう一つ、「できてない」のに自分自身をだまして「できている」と

 

思い込もうとすること。

 

そんなこと大人でも子どもでも起こりうる。

 

「できている」ようになるコツは、

 

自分自身に対して素直で正直になることと、「できるまでやり続ける」

 

というシンプルなことなんだと思う。

色んな人がいる中で

とりあえず「楽しいことをしたい」と思っている人と、

 

「プロとしてやりたい」と思っている人と、

 

「頼まれたからやる」っていう人と、

 

「とりあえずもうけたい」っていう人と、

 

「何かを発信したい」と思っている人が

 

一緒になって何かをやるってこと、

 

そういう状況って、実は結構あるんだと思う。

 

そういう状況の中で、いかにして1つの「チーム」として

 

同じ方向を目指していけるか。

 

それが難しいところでもあり、やりがいがあるところなんだよなー。

もっと楽しみながら生きる

人は自分がやっていることが


"正しいこと"、"いいこと"であることを


認めてもらいたくなる。


で、そういう風に思っていると、


いつの間にか気づかないうちに


他の人が"正しくないこと"をしているように


見えたり、"いいことをしていない"


ように見えたりする。


そして、自分に賛同しない人や


自分を認めてくれない人を


"ダメな人"のように決めつけてしまいやすい。


そんな風に見ているうちに、


"正しいこと"のためには多少の嘘や誇張も


ありだなんてことになる。


そんなことを見ると、ほんとに


窮屈な生き方やものの見方だなーと


思ってしまう。


もっと楽しみながら生きること、できるよ。

どんなところだって道になる

誰も通ったことのない道。


それは"道なき道"とも言われる。


この地上に生を受けてから


全く同じ道を歩いてきた人なんて


いないんだとしたら、


全ての人の人生は"道なき道"を


歩いていくということだ。


しかも、人間は地球上だけで飽き足らず


宇宙までの道も見つけようとする。


つまり、歩いていく方向が見えて、


意志を持って進んでいこうとするなら


そこはどんなところだって"道"になる。